スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

眠れない夜の鬱々とした考え

久々に昼寝をたっぷりしてしまい、どうしても寝付けなくなってしまったのでブログを更新することに。
ここ最近考えていたことを思考の整理のために書きなぐっておく。

・自分の人格
先日、とあるSNSで私個人宛にメッセージが届いた。
その内容は秘密であるが、そのメッセージを私が5日もの間放置していたことにより、送り主から繋がりを切られてしまった。
私はそのSNSを連絡用には用いていなかったので通知を切っており、結果として5日間気づかなかったのである。

送られてきた内容もさながら、そんなに大切な内容であれば学生に与えられた大学のアドレスに送ってくれればよかったものを…
こういうことがあるから、SNSはあまり好きではないのである。

twitterも最初は楽しかったものの、自分の人格が露わになってきたあたり(ボロが出てきたあたり)から楽しめなくなった。

そしてもう一つ、私がこの出来事に対してショックを受けたのは、繋がりを切られてしまったこと自体というより、自分の人格を否定されてしまったことに対するショックが大きいことに気づいてしまったことである。

他者がSNS上で私の行動に対して何らかの不快を感じ、私との繋がりを切ったとする。
その後、現実世界で私とその他者が出会った時、今までのような気持ちで接することは出来るのだろうか。
たとえ他者が気にしてなくとも、私はそのことをずっと気にしてしまうのだ。

思い返せば私が大学入学当初に仲良くなった人たちの多くは、徐々にボロが出始めてから疎遠になってしまった。
もともとタイプが異なる人達(いわゆる大学生らしい大学生)であったので、彼らとずっと一緒にいることは到底不可能(大学生らしさを目の当たりにすると、体調が悪くなってしまうからである)であるのに、それでも彼らとの繋がりが途絶えてしまったことを考えると、時々憂鬱になる。

これも彼らと一緒にいられなくなったことより、自分が彼らに否定されてしまったのでは、と考えてしまうからだろう。
私には少数の気の置けない友人がいるのに、誰からも否定されないように生きようとしている自分の考えに辟易する。


私の憧れる生き方は「メールを殆ど見ない人」や「周囲から嫌われていても、何ぞという顔で生きている人」である。
前者は社会的にどうなの、と思う所があるが、周囲の反応を顧みず自由気ままに行きる様に憧れる。
後者は他者からどんなに悪口を言われても、自分の生き方を突き通す生き方に憧れる。
私はそんな精神力を持ち合わせていないので、目指しても成れるものではないが…

常に人の顔色を伺うような生き方はしたくないとは思ってはいるものの、自分の精神力ではどうしてもそうは出来ないようだ。
ああ、過去のことは過去のこと、これから自分がどう生きていくかが大切だ、と割り切れるようになれれば、この先の人生はどれだけ楽になるだろうか!





もうすぐ俗世間から離れて、南の島に生き物を求めて逃亡いたします。
生き物と出会い触れ合ったいる時間が、唯一の救いなのです。

追記:長々と書いてしまったが、要するに自分は人に嫌われることに慣れていないのである。
どうせ社会に出たら誰かに嫌われずにはいられないので、大学時代に沢山の人に嫌われ、嫌われるても何知らぬ顔で過ごせるようになりたい、
スポンサーサイト

生物資源という学類

つい先日、学類の先輩と「生物資源という学類」について真面目な議論をしたので、それの整理として書いていきます。

先輩の主張は「高校レベルの学力(この時は数学を指していた)を農学部の人に求めるのは酷だ

「生物資源の卒研発表が酷い。生物学類のはすごかった」

というものでした。

その主張に対する、自分なりの答えを述べていきます。



生物資源学類は、いわゆる農学部です。

農学部は文理融合の学部と言われており、実際に高校時代は文系だった、専門高校だった、普通科理系だったと様々な人が入ってきます。

殆どの人は高校時代生物I・IIを履修しており、物理I・IIを履修していた人は少数派で、さらに数学は数III・Cまで履修していた人は割と少ないです。

そういう事情を鑑みて、上の「高校レベルの学力を農学部の人に求めるのは酷だ」ということになったのです。



まず最初に生物資源学類の教育の現状を見ていき、次に他の学類と比較していきたいと思います。

生物資源学類は一貫して「下を引き上げる」教育姿勢です。

一年次の理系科目は数学、物理、化学、生物です。

数学は高校の復習から大学の数学へ、物理は高校物理、化学は高校化学(一部大学化学:熱力学)、生物は高校生物+大学生物でした。

上に挙げた科目は、高校時代に物理・数学・化学未履修者だった人でもスムーズに大学の学問に移行できるようにと、高校の復習から丁寧に入ります。(なぜか生物学だけは大学生物から始まりましたが…)

筆者は高校時代は数学はIII・Cまで、物理・化学は共にI・IIを履修していたので、一年次は正直物足りない授業が多かったです。(数学は自分の基礎学力の無さを強く実感したので、一からやり直しました)

一方高校時代に生物を得意とし、数学は苦手だったという学生にとって、一年次の物理・数学の授業はかなりキツイものだったようです。

自分の周りでも続々と脱落していき、二学期(大学数学にはいる)には一部の学生が残ったのみでした。


一方、生物資源学類と(名前が)よく似た学類として生物学類というのがあります。

生物学類の友達が何人かいるので彼らからよく講義の話を聞くのですが、彼らの話から「上に合わせる」教育方針だという印象を受けました。

なぜ生物学類は上に合わせて下を(生物資源ほど)救わないのでしょうか。

それは入試科目(特に前期)の違いにあると思います。

生物資源学類は色んな人材を求めるために、入試の科目も結構変わっています。

数学を必修としていない、地理だけで入れるなどなど…

対して生物学類は数学(IA、IIB)・理科を必須としております。

恐らく「数学」を必須科目としているところに、生物学類の意図があると考えられます。

・生物学類
数学を必須科目としている→高校レベルの数学はもうクリアしているので、大学では大学の数学をやる

・生物資源学類
数学を必須科目としていない→高校レベルの数学に達していない学生もいるので、まずは高校レベルに到達するような教育をする


ただ上のような論法でいくなら、生物学類は数III・Cまで必須にするか、大学で数III・Cの補助をすべきだと思うのですが…
実際に生物学類の一年次の数学の講義(微積分)に潜ってみたのですが、数III・C未履修者に配慮されていたとは思えませんでした。


こういう背景から、生物資源学類は一年次は徹底的に基礎教育を、生物学類では一年次から結構専門的な内容に取り組んでいるのだと考えます。

ここで一年間の教育の遅れが生じているのが、最初の「生物資源の卒研発表が酷い。生物学類のはすごかった」という主張に対する答えではないでしょうか。

専攻に別れるのは生物学類は2年で、一方生物資源学類は3年です。

生物学類の2年次の講義に潜ってみましたが、やはり彼らの方が専門的な内容に取り組んでいました。

専門的な内容だけ合って、科学的思考を要する場面も多々ありました。

一方生物資源の2年次の講義は、またまた高校時代の復習を何度も取り入れ、基礎的なものが多い印象を受けました。


恐らく生物資源も3年になればもう少し専門的な内容に取り組めるのでしょうが、生物学類にはやはり一年分の遅れが生じています。

ここで断っておきますが、「内容が進んでいる、遅れている」ことが悪いとは私は考えません。

これで生物学類のように2年次から専門的な内容に取り組んだ場合、基礎学力がない資源生の学力は付け焼き刃の物になってしまい、ズタボロになるでしょう。

もしも2年次から専門的な内容に取り組むとしたら、入試制度から変えなければならないでしょう。

ただ折角生物資源学類は多種多様な人材がいるのに、学力のフルイにかけてしまったら勿体無いです。



以上を踏まえて、「生物学類のものと比べて、生物資源の卒研発表は酷い」というのは多少は仕方ないと私は考えます。

ただだからと言って、クオリティーが低い卒研でいいとは言いません。
より良いものになるような努力は絶やしてはいけません。

主張したいのは、「科学的思考の訓練を一年間遅れてしまっている人たちと、一年早く進んでいる人たちをおな土俵に立たせるのはちょっと違うのでは?」ということです。




さて、今度はもう1つの主張「高校レベルの学力(この時は数学を指していた)を農学部の人に求めるのは酷だ」にフォーカスを当てていきます。

この時の会話を一部再現してみます。

先輩「自分君がいう高校レベルの数学は求めすぎだ。生物資源は高校時代数学をやっていない人もいるし、大学はそもそも深く1つの学問を追求する場でもある」

自分「高校時代、数学をしっかりやらなかった(やれなかった)人がいるのは承知しています。そのために一年次の数学は高校数学から入るのです。」

先輩「うーん、なんか引っかかるな…」

自分「logの性質を知らない、logの定義を知らない大学生をどう思いますか。」

先輩「だからそれが求めすぎだというんだよ。皆が自分君みたいな価値観なわけではないんだし…」

自分「では四則演算が出来れば十分なのでしょうか」

先輩「それは極論でしょ。」

自分「それでは四則演算(小学校レベル)とlogの定義(高校レベル)の間に、大学生が持っておくべき数学力があるのでしょうか。」


…とこんな感じでした。
論理展開がめちゃくちゃだ!というツッコミがありましたら、どんどんください。


私は大学数学の楽しさ、その強力さを皆に体感してもらいたいと常日頃思っております。

しかしながら皆が皆大学数学をやるべきだ!という主張はしていませんし(そういう風に今まで発言していたと捉えられていたら自分の国語力不足です…)、そこまでは望んでいません。

ですが大学の、国立大学のスタンス及び入学させた責任として、高校教育までは会得させるべきではないでしょうか。

無理に教えこむのではなく、大学は高校レベルの学力を得られる場を提供し、学生はそれを利用する権利があるのではないでしょうか。

生物資源学類では数学、物理は必修ではありません。

ですからこれらを履修せずに(高校レベルの数学、物理を習得せずに)進級することも可能です。

高校レベルの数学、物理を習得するかどうかを選ぶのは、学生の自由だとも考えます。

もう自分で選んで勉強していける年ですし、自分の選択にも責任を持てる年でもあります。


以上をまとめますと、私の主張は「大学は、様々な入試で合格した学生たちに対し、入学させた責任として高校レベルの学力をつける場を提供すべきだ。ただしそれを強要する必要はない。そして私の考え・立場は、大学(特に生物資源)の教育方針と一致している」

ということです。

(本当は高校で基礎学力が習得できていればいいのですが、いかんせん今の日本の教育では期待できないので、その分大学がカバーするしかないのです)

長くなりましたが、ひとまずこのあたりで…。

ばーっと書いていったので、文章が酷いかも知れません。

余裕があれば後に訂正いたします。


何かコメントがあれば、コメント欄でどうぞ。
(批判的なものでもウェルカムです)

続きを読む»

うなぎは食べてはいけないものなの?

土用の丑の日に、うなぎ絶滅が話題になったので…

「うなぎ絶滅しちゃうの?」という方は、「うなぎ 絶滅」と検索すれば沢山の記事が出てくるのでそれらを参考にしていただきたい。(騙された!という方はブラウザの戻るボタンを…)

今回は「うなぎが絶滅に近いからうなぎを土用の丑に食べるな!」という主張をしたいのではなく、うなぎ問題の背後に潜む「原因」について考えていくつもりだ。

まずは話を分かりやすくするために、中立派を除いて「うなぎを食べるな!」派と「うなぎ美味しい!」派に分ける。

「うなぎを食べるな!」派の主張は以下の通りだ。

・うなぎは絶滅危惧に瀕している



一方「うなぎ美味しい!」派の主張はというと…

・うなぎは絶滅危惧?なら味わって食べなきゃ!
・絶滅とか分からないけど、とりあえず売られているから買った。
・養殖って書いてあるし、養殖すればどうにかなるんじゃないの…?



これらに横たわっている「問題」は何なのだろうか。


大きなキーワードは「絶滅危惧に対する考えの相違」だ。

自然環境保全・生態系保全を専攻しているものにとって、絶滅というのは一つの大きなキーワードだ。

ある種が絶滅してしまうと何がいけないの?と思う人がいるかもしれない。

絶滅してしまうと、こんなことになってしまうのだ…

1、一度絶滅してしまうともうその種は戻ってこない

今回のうなぎの場合、もう二度とうなぎを食べることができなくなってしまう。


2、その種がいなくなってしまったことによる、他の種への影響は未知

「生態系ピラミッド」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。

生態系というのは生物同士が互いに影響し合い、まるでピラミッドのようになっているというものだ。

このピラミッドを構成する種がどんどん消えていくと、いつの日か崩れ去ってしまうかもしれない…という考えだ。

このピラミッドの考えは異論があるかもしれないが、ここではあまり深く触れないでおく。

「うなぎを食べるな!」派はこれらのことを(特に1を)主張しているのだ。


一方「うなぎ美味しい!」派はどう考えているのだろうか。

憶測ではあるが

・そんなに専門的なことを言われてもよくわからない。売られているものを買っているだけ。
・そもそもそんな話知らない
・誰かが解決してくれるだろう

といった感じだろうか。

比較的楽観的に考えているように思われる。


「絶滅危惧に対する考えの相違」に潜む、もっと根本的なものは何なのだろうか。

私は

「知識」と「関心」だと考える。


絶滅問題を考える上で、ある程度の知識は不可欠だ。

また関心が低いと、目先のことしか考えず問題から逃げてしまうことになる。



もう一つ、うなぎ問題に横たわるキーワードとしてメディアの影響があると考える。

メディアは簡単にうなぎを規制しよう!と叫ぶわけにはいかない。

世の中にはうなぎで生計を立てている人がいることも忘れてはならない。

しかしながらマスメディア、特にテレビは最近は見る人が減ったとはいえ、それでも多くの人が毎日目にしている。

このメディアとうまく連携できれば、先ほど上げた「知識」の共有ができ、それによって「関心」も高まるのではないだろうか。




自分は以前にも書いたことがあるが、外来種問題を工学的手法で解決したいと考えて大学に入学した。

この外来種問題も今のところ有効な策がなく、「地道に駆除をする」あるいは「諦める」の二つの道しかないのが現状だ。

極論を振りかざすのも、中立の立場をとるのも簡単だが、実際に解決への道を示すのは大変だと感じる日々を過ごしている。

だが上で見たうなぎ問題の根底に潜む「知識」と「関心」と「メディアの影響」の3つは、この外来種問題にも適応できるように思える。

現状を把握しないと物事は始まらない。

一般の人はどれだけ外来種に対する「知識」を持っているのか、外来種問題に対しての「関心」度はどれくらいなのだろうか、「メディア」の外来種問題に対する報道はどのようになされているのか…



何かを議論するときに極論を振りかざす前に、一旦この3つのキーワードを頭に思い浮かべて、じっくり考えてみてはいかがだろうか。

講義の質、単位の束縛

「二年次になったら専門的な勉強が出来る」

そう思って一年次の基礎の授業を耐え忍んできた。

だが蓋を開けてみればそこには苦行としか言えない現実が待っていた。


例えば先日の金曜日に受けた授業では、2時間かけて「地球温暖化の原因は二酸化炭素だ!」という説明を受けた。

これが大学の講義のレベルなのだろうか?

(二酸化炭素が地球温暖化の原因だ、と決めつけている態度も疑問を抱かざるをえない)


他の学科の人々は、専門的な内容に入っており、一人取り残されているような気になる。

植物生理という名の高校生物Ⅰの内容を2時間✕5回にわたって講義

生物物理化学と称して5時間かけて高校物理Ⅰの熱と仕事の範囲を講義(化学ポテンシャルの導入は愚か、偏微分方程式すら用いないのだ!)

ちなみに自分は高校時代は物理選択であったが高校生物Ⅰは1年次の授業で既習、同様に化学熱力学の範囲も1年次の講義で既に取り扱っているのである。

つまり物理・生物選択関係がなく、既に一度習っている内容なのだ。

なぜ既習範囲を二度も三度もやるのだろうか。

高い授業料は、復習をするために払っているのだろうか。


とにかく授業同士の連携が全くとれていない、そしてそのような退屈で得るものが皆無な講義を必修単位として取らなければならない現状に辟易しているのである。

自分は農学の分野の中の工学をやりたいので、もっと物理と数学を学ばなければならない。(流体力学、電磁気学、線形代数、集合論、量子力学、材料力学、統計力学、プログラミングetc…)

「講義はきっかけ」「大学は自分で学ぶ「独学」がベストだ」というのは頭では理解している。

だがどうでもいい講義に時間を奪われていくのはとても苦しい。

その時間をもう一歩踏み込んだ内容を学ぶ時間にすれば、どれだけ知見が広がるだろうか。

きっかけにすらならない講義を展開していて、教授陣は恥ずかしくないのだろうか?

またそのようなレベルの講義を展開されている学生も、馬鹿にされていると憤慨しないのだろうか?


ならレベルの高い授業を展開している他の学科の授業をとればいいじゃないか?と言われても、先ほど述べたように単位の都合上取れないのである。

正直40単位中30単位は講義に出る価値のないものだ。


このようなレベルの低い講義を展開する理由としては、自分の学科全体の基礎学力が低いからというのがある。(教授談)

農学部というのは、いわば文理融合型の学部であり、その性質上他の学科と比べて学力に幅がある。

教授陣の主張としては、「どうせレベル高い授業を展開しても、誰もついてこない。授業評価も悪くなる。だから下に合わせて講義せざるを得ないのだ。」

といった調子だ。


下の学力の底上げをするのは大いに結構だが、それに中間層以上の人を巻き込まないで欲しい。

下のレベルに合わせた講義を取るしか無いという「選択肢がない現状」を変えて欲しいというのが切実な願いだ。


2年次からコース(専攻)に分けてしまうというのも一つの手だと思う。

現に生物学科の人たちは2年次から専攻に分かれており、それでもうまくやっている。

レベルの幅・興味の幅が広い学科で、1年の猶予を持たせてもそれが講義に反映されてしまうならいっそ無くして欲しい。

続きを読む»

大学に入ってから

幼少の頃から自然に囲まれて育ったせいか、私は小さい時から生き物が好きでした。
特に魚は、私の一番の趣味である熱帯魚飼育として私の人生に大きく関わってきました。

大学に入るまで漠然と生態系に関して何かしたいと考えていました。

以前にもこのブログで書きましたが、まだ私が小さかった頃に父が庭でブルーギルを飼っていました。
しかしある日、庭の水槽からブルーギルの姿が消えていました。
不審に思った私は父に訳を聞いてみたところ、「外来生物法が改定された。」と言われました。

以来私は外来生物に興味を抱き、大学では外来種問題について学びたいと心に思い描いていました。
高校では生物を学ばずに、あえて物理学を選択しました。
なぜならば生物学は大学でも学べると思ったからです。

高校二年生の時にオープンキャンパスで生物学科を見学しに行きました。
本当は他の農学部に行きたかったのですが、誘われた友人の予定に合わせて生物の方にしたのです。
ところがそこで見たもの、聴いたものは私がやりたいこととは違うものでした。
教授たちが熱心に説明しているものに、不思議と私の心は動かされませんでした。

そうして私は農学部に進むことを決めたのでした。
農学部、と一口に言っても農業をやるわけではありません。
高校時代の私のイメージでは、私の現在通っている農学部では「生態系に対してマクロなアプローチができるところ」というものでした。
また大学へ行けば具体的なアプローチが見つかるだろうと高を括っていました。

無事に大学に合格、晴れて私は大学生となりました。
でもそこで待っていたものは、私の求めていたものとは違っていました。
講義が農業に関するものばかりだったのです。
そりゃ農学部だから農業の授業が多いのは当たり前だろ、と思うかもしれません。
農業が大切なことは頭では分かっているものの、自分のやりたいこととは少しかけ離れている気がしてならなかったのです。
しかもパンフレットやネットにはそこまで農業を推していなかったのです。

入学してからよくよく調べてみると、生物学科の方が生態系に力を入れているということに気づきました。
なぜ高校時代の私は「生態系に対してマクロなアプローチができるところ」と考えていたのか…その時はちょっぴり自分のした選択に自信をなくしました。
一学期は大学二年生になったら専門的な勉強ができるだろうと自分に言い聞かせ、勉強を続けていました。

そんな中、大きな方向転換がありました。
それは数学の授業で出会った統計学でした。
正確に言うと、統計の勉強で出会った「R」というソフトでした。

数学で統計の基礎を学んだ時、私は二年次で学ぶオープンソースのRというソフトの予習をやろうと思いました。
Rを使っていくうちに何かを解析する楽しさを、情報を自分の手で処理していく面白さを見出していきました。

解析を生態系、いや私の好きな魚が暮らす環境保全に生かせないか…そう考えるようになりました。
この考えは数理科学演習という講義でさらに強化されました。
私の将来への方位磁針を大きく動かした数学の授業を担当していた教授の研究室では、高度な数学及びプログラミングの知識が必要と知り、私はプログラミングの勉強を始めました。


この文章を書いている今現在では、まだその教授の研究室に行くかどうか迷っている最中です。
大学入学前と入学後で大きく考えが変わったのと同じように、研究室を選ぶまでの間にまた考えが変わるかもしれないからです。

とりあえず自分の思考の整理として書いてみました。
今は余計なことを考えずに、いろんなことを学んで行こうと思っています。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

プロフィール

Author:ケミ

最新記事
最新コメント
カテゴリ
過去記事
<
>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 78
9 10 11 12 13 1415
16 17 18 19 20 2122
23 24 25 26 27 2829
30 31 - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

FC2カウンター
検索フォーム
リンク
月間アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。